隣のマッドマン
人狼に参加したくて現役で動いているサイトを見て回ってる、その中でよさげな
サイトを見つけたが、専門用語ってか略語ってか、すげームズイ言葉が飛び交う。
うむぅ役職者のこととかはケムリさんの所見て一通り押さえているんだが、あの
雰囲気は敷居が高いなぁ、イマイチ参加に踏み切れない。初心者歓迎とかウソだ。
とりあえずは過去ログ読みに終始しようと思い、あるログを1話読んだが、うーん。
なんかこうあんまり面白くないと言うか、ケムリさんの所よりはイマイチだった。
ケムリさんとこのログが面白かったのは、固定メンツが多くて参加者の多種多様の
個性が蓄積されていく点が面白かったのかもしれないなと軽く思った、そうかぁ。
普通のゲームですら知り合いとやった方が面白いからなぁ、またケムリさんの所は
参加者の微妙な距離感がイイね。知りすぎている訳でもなく、知らない訳でもなく。
ぶっちゃけ当時は人狼の存在も知らなかったし、たまたま最近目に付いただけだし。
ほいで当時知ってたとしても、前述したような理由で絶対参加してないだろうなぁ。
とりあえずは色んな所の過去ログを漁ってみる事にしよう、時間はほぼ無限にある。
参加してみるのもありかもしれませんな、タイミングよく更新が合いそうなら参加。
-
-
-
- -
-
-
先日の話でプレイングからの信頼感って事を話題にした、普通のゲームだとあんま
無い話題だなと思うけど、この話題はカルドセプトというゲームならではだと思う。
長々と説明もアレなんで古い話でとても恐縮なんですが…。ケットシー隣の泥男が、
マネさんだったらレベルが上がるし、きせさんだったらコアティになるって話ですw
カルドはそんな感じでプレイングが大幅に変わる珍しいゲームな気がする、一定の
方法論が採用しにくいゲームだ、だからこそ事前の傾向調査もゲームの重要な要素。
それで相手の人格なぞ分かるはずも無いのだが、分かったように感じてしまうから
人間って恐ろしいよなぁと思う。ゲームでの信頼感=人格への信頼感は成り立たん。
逆説的に、ゲームでの不信感=人格への不信感という図式はあっては成らんのだが
勘違いしがちだ、未熟な僕も当時は胸に盛る炎を外に出す事はなかったが中で極炎!
-
-
-
- -
-
-
秋葉原やばすぎる、あんまり東京に出掛けない事にしよう。しかし精一杯生きてて
こんな事で人生終わるってやるせなさすぎだろうな、言葉に出来ない程悲しすぎる。