ぶらり遠征記(改)

きむを 改め きもすん(kimosn) が勝負の世界に生きた結果を 勝ち誇る(ぼやく)ブログ 連絡先:kimosn■clotho.is.dream.jp

ボクサーの憂鬱

さてスポーツに勝手にw携わってる者としては、今回の亀田関係の事は
書かなければなるまい。あんまりボクシングは見てないんだけどね(汗


謝罪会見に関しては色んなところで語られているので、深い言及はなし。
僕の個人的な意見だと、会見はツボを抑えていて中々良かったと思う。

今回の試合に関して謝罪しつつ、亀田父さんはいつまでも父さんなんで
大事にしていきたいみたいなメリハリが効いていて、とてもよかった。
でも反則を指示したかどうかは自分の口から中々言い出せなかった感じ。

長男自身の口から「変な指示してすいませんでした」的なアクションが
あればパーフェクトな謝罪会見だったのではないだろうか。20歳の僕が
同じ立場だったら、誰かブレーンがいても会見やり通すのは無理かもw


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僕が亀田家の普段の言動に関してはどっちかってーと無関心なほうで
TBSみたいに面白がることもなければ、批判的に見ることもなかった。

最近TVで亀田批判っぽく編集されたものを見てみると、確かに常識は
ないかもしれない。しかしその常識ってのは一般社会の常識であって
一般社会のルールではない、ルールを逸脱してる所は特にないかなぁ…。

上記を踏まえると、あんまり問題ないように見えるのが僕の個人的な
意見となってしまう。ルールを逸脱しなければ何をやってもいいのか?



その判断をするにあたってボクシングという競技の特異性が障壁だ。
僕はこの手の競技関係に手を出したことが全くなく、よく分からない。

求道チックな部分がないショーチックな格闘技の世界、礼に始まり
礼に終わる的な文化なんか無いしなぁ、それでいて目の前の相手を
倒すことに全力を注ぐ競技。これは中々難しい。

相手に敬意を払わないとか言うが、目の前の相手を倒すのが目的の
スポーツだから究極的な効率主義というか、敬意を払うのが不合理。

そう思うと間違っちゃいないよなぁ、しかしそれだけでは只の喧嘩?
なので間違いなく不文律はあるはずなんだが、そこはボクシングの
世界では具体的にどんな形で浸透して行ってるのだろうか。

今回みたいに、「目の前の相手を倒すのに究極的な効率主義な社会」
出身の独自の世界観を持つボクサーが現れたら同じことは起こる。

今回みたいなことがボクシング界として起こさないようにしたいなら
システムとして防止策を組み入れないとダメじゃないだろうか。

ライセンスを更新制にしてボクサーとして最低限の常識と技術を
毎回講習するとかかなぁ、常識だからとナァナァにしてると忘れた
頃にまた起きるような気がしてならないと思った。

トミーズ雅さんが言っていたが「人を殴るには理由が要る」って言葉。
耳にして含蓄があると思った、雅さんは理由を維持できず引退したらしい。

その部分を吹っ切れてるボクサーが精神的に強いのだろうし、そこを
あえて問題として提起してこなかった亀田家も精神構造上は強いんだろう。

ボクサーを育てる手法として間違っていない、が社会的にNGってだけだ。
そこをNGですよと謳うのはボクシング界の啓蒙責任ではないだろうか。


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これから再出発することになるであろう亀田兄弟だが、ボクシング技術は
間違いなく向上する。つーか亀田スタイルは世界では勝負にならなない。

そこの部分でも良かった再出発だし、人間的にも遅い再出発となったけど
これから偉大なボクサーになれれば無問題じゃないか。

あの会見を見て逆に亀田ファンと言うか動向に興味がわいてきてしまった、
純粋にアスリートとして頑張って欲しいなぁと思った。