ぶらり遠征記(改)

きむを 改め きもすん(kimosn) が勝負の世界に生きた結果を 勝ち誇る(ぼやく)ブログ 連絡先:kimosn■clotho.is.dream.jp

タイムカプセル


暑い…、夜は寒くなってくれないと困るんだよなぁ。
あ、程々でお願いします、冬みたいに寒いのも困るのです。

昨日行ったコロンボはイベント出店中で見事に休みでしたw
解析についてこんな事をツイッターでつぶやいた記憶がある。

 

--- ここから ---
解析は楽しい

通常時は普通に正解が打てる
試合時は2/36が気になってリスクを取れずエラー

でも打った手から試合時の心境が振り返れて楽しい
連続エラーだって試合時の一貫した方針によるもの

自分はフルプラからのゲームメイクが甘いみたい
相手のローアンカーゲームを甘くみがち反省
--- ここまで(140文字) ---

 

ツイッターで割と長文をアップするときは大体140文字になる。
やっぱ140文字だと伝えたい事を凝縮するのは中々難しいなぁ。

というか最近全然文章を書いてないせいか、文章作成能力が
低下してる、構成力とか語彙力とか言い回し調整力が低下中。

つーか昔の日記の文章量が尋常じゃなかっただけか、当時は
物を書くことが楽しかったし苦痛でもなく物書きに憧れてた。

 

文章力ネタはおいといて、解析に関するツイートに言及すると
これは正直な心境をつぶやいた訳だが元ネタらしき物はある。

愛読書である「とめはねっ!」で出てくる一節なんだけど、
大槻さんと言うキャラが「かなの書」が好きな理由の一つに

 

1000年前にこの「書」を書いた作者と、
まったく同じ動きをせんと書けへんの。

そう考えたら「かな」の古筆は和歌だけを記録してるんやない
1000年前の平安びとの動きも記録しとんのよ。

 

これを棋譜に置き換えると、棋譜はお互いの打った手が遡れる
もので試合進行も再現できるし、局面を振り返るには超便利。

ただ個人的には棋譜だけでは対戦の本質は図れないと思う。
「書」で言えば、字面を追うだけでは「書」の魅力は半減。

エラーの局面を切り取るだけではどういう経緯でそのエラーを
選んだのかが不明瞭、ましてや他人のエラーなんて分かんない。

エラーを決定した自分の意思決定プロセスを改善する訳だから、
決定に至った思考プロセスを把握し、悔い改めるw必要がある。

だからこそ(意思決定の思考が遡れるから、改善できるから)
自分の試合を解析するのは楽しいんだよなぁと僕は思っている。

逆にこういった経緯でこんなエラーを選択したという対戦レポは
読むのが非常に楽しい、そんなに数が多くないのが残念だけど。